どうでもいいオマケはいつだって大事だ。合理性を放棄しろ。
金沢の茶屋街を訪れた際に折り鶴のオマケが付いてきた。
きなこを使ったスイーツだ。
オマケ程度になんでこんな綺麗な折り鶴をつけてしまったんだろうと思う。
折るの面倒くさいだろうに。
Olympus E-M5 + LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4 ASPH (両写真)
オマケといえば食玩。
オマケのためにお菓子を買った経験は皆さんもおありだろう。
最近なんかでは食玩としてなんと全長200mmの巨大食玩サイコガンダムが販売された。
しかし大人になっても付録のペンケースやバッグのために雑誌を買うことがあるだろう。
どうしようもなく人間はオマケが好きだ。
趣旨から外れてしまったどうでもいいようなことに惹かれる。
合理化の進む日本社会の中でこういったどうでもいいものはどんどんと削られていく。
無駄なものを最小限に減らす合理化。
おもてなしの文化だって所詮はオマケだ。
本来ホテルなんぞ綺麗なところに泊まれればいいんだ。
泊まるまでの過程、宿泊とこれっぽちも関係ない気遣い。
でもこういったどうでもいいオマケに力を注いできたらこそ今私たちの日本文化は世界的な評価を受けた。
人工知能と人間の違いは命令を完璧に遂行するか、それとも命令以外のところもオマケにやってしまうかだと思う。
そんな輪郭のぼやけてしまった曖昧で不出来な人間だからこそ、ときには合理性なんて忘れてオマケに注力してしまってもいいと思う。
楽しいじゃん。