文化フィルターと知覚内容
以前、下の写真のような風景を見かけた。
私が異変を感じたのはLightroomのアルバムを見返したときだ。
外国人がこの絵を見て何を思うのか。どういった感情でこの絵を写真に残しているのか気になった。
Olympus E-M5 + LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4 ASPH 1/500 F4.5 ISO200
今日の社会はやたらグローバル化が騒がれる世の中だ。
企業の生き残りをかけて重大な必要性のもとグローバル化に進んでいるのだろう。
会社の規模が大きければ大きいほど日本市場にのみ注目しては生きて残れない。
東京でも気のせいか外国人を目にすることが増加しているような気がする。
銀座でふと上のような瞬間に対してシャッターチャンスがあったので撮った。
写真内の浮絵的な何かと外国人の対立関係に着目してほしい。
私たちがこの浮世絵的な絵を見たときに最初に感じるのはおそらく風情だ。
私たちがヨーロッパのとある古城を見たときに感じるのは
その豪華さだったり映画で見たものそっくりだとか思うのだろう。
おそらくこの外国人がこの絵を見たときに風情を感じて見ているようには思えない。
私たちが古くからのヨーロッパの古城を見たときの反応で見ていると思う。
未熟な理系大学生にすぎない私が文化を語る内容はたいてい滑稽なものの可能性が高いが
先例のように人は文化というフィルターを通してものを知覚する。
フィルターの色によって知覚内容が変わるのだから異文化コミュニケーションにおいては思わぬ色を知覚させることになることもある。
ただ残念なことに文化フィルターは無意識下のもであるから色は根強く、知ったところで知覚内容自体は変わることがないと思う。
しかし相手の色との差異を知っていれば、自分の色を説明してから情報を発信することで相手もフィルターの色が違うことに気付く。
グローバル化で気をつけなければこういったフィルターの色の差異を事前に説明しておくことなのではないだろうか。
変に色を捻じ曲げる必要はなく、私にはこういう風に見えてる。あなたは違うものが見えているんじゃないですか?といった懐疑的な姿勢なのではないかと思う。